原子とレーザー光の運動量授受に関して、速度または位置依存性を巧みに盛り込む ことにより原子に対して減衰力や求心力を作用させることができる。このようにして、 ミリケルビンやマイクロケルビンといった温度領域まで冷却・捕獲された超冷原子集団は、 ドップラー拡がりのない良好な分光学的な測定対象である。また、そのde Broglie波長は、 室温原子のそれと比べて桁違いに大きいので、原子の波動性を、例えば干渉という形で 示すことができる。その他、多くの量子力学的効果のデモンストレートのための出発点と なっている。現在、88Sr(ボース粒子)と87Sr(フェルミ粒子)を実験対象としている。
現在の国際単位系(SI)における1秒は、133Cs原子の基底状態の2つの超微細準位 (F=4,M=0およびF=3,M=0)の間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間と 定義されている。この定義に基づく時間標準器(1次標準)のうち、今世界で最も精度の 高いものは、10-15の精度をもっている。分かりやすく表現すれば、数千万年に1秒しか 狂わないということである。現在、香取研究室で開発中の光格子時計は、10-18の精度を 目標にしている。これは、100万個ものレーザー冷却された極低温原子を光格子と呼ばれる 容器に閉じ込めることで実現される。この光格子は特別に設計されたものであり、 原子を光の波長以下の微小領域に閉じ込めつつ、そのポテンシャルによる共鳴周波数に 対する摂動をゼロにするという、相反する条件を満たすことに成功した。この光格子時計の アイデアに基づき、87Sr原子の時計遷移、5s2 1S0 (F=9/2) - 5s5p 3P0 (F=9/2)の観測に 成功した。これほどの精度の時計をもってすれば、一定不変であるはずの物理定数の 時間変化が観測可能となる。
レーザー冷却された極低温原子のコヒーレントな運動制御を固体基盤上で行うことにより、 電子や光子に比べて豊富な内部自由度をもつ原子を媒介とする量子情報処理系の実現を 目指している。世界の他のグループでは磁場によるゼーマン効果を利用しているが、 香取研究室では電場によるシュタルク効果を利用している。これによって、電流に伴う 発熱などの問題を回避し、低消費電力・高入力インピーダンスのデバイスの実現が可能となる。
現在のコンピュータは、エネルギー損失(発熱)や集積度の限界のために、その処理能力の 頭打ちが危惧されている。また、その処理方法が基本的に独立な要素の組み合わせに 過ぎないことから、たとえ複数個のコンピュータを並列に動かしたとしても、計算速度には 限界がある。そこで、その両方の問題を克服できる可能性のあるものとして期待されているのが 量子コンピュータである。波動関数の重ね合わせ状態を基本的な論理素子(キュービット) として利用しているために、可逆性(ユニタリー変換)や並列性(重ね合わせの原理)を 内在し、原理的にはエネルギー損失もない。このキュービットを構成するために、 レーザー冷却されたストロンチウム原子を利用する。具体的には、十分に冷却された ストロンチウム原子を、光格子中にロードしたものにレーザー光を照射することで、 ユニタリー変換・制御に対応する操作を行い、エンタングル(絡み合い)状態を生成する。
量子論誕生の頃より、電子や中性子などの物質粒子の波動性が認識されてきた。 この波動性を利用して電子干渉計や中性子干渉計などが構成され、量子力学の基礎づけを 行うことのできる測定が行われてきた。それらの複合粒子である原子もまた、 波動性を示すことが1930年代には知られていたが、その質量の大きさから室温での波長は (ピコメーター)のオーダーと極めて短く、それと同程度の大きさの回折格子などの素子を つくることは不可能であるために原子干渉計は長らく顧慮されてこなかった。 ところが、レーザー冷却技術の進歩により、光の波長程度まで原子の波長を引伸ばすことが できるようになり、原子干渉計が現実のものとなった。光と比較すると、冷却された原子は 非常な低速で干渉計内を通過するので、同じサイズの干渉計を作ったとすると、 原子干渉計は10桁も大きな感度を持つ。また、原子は質量を持つので、重力に由来する効果を 精密に測定することもできる。